Travel Kurarin

旅行ガイドブック出版社サラリーマンの旅のメモと青年海外協力隊(2018年1次隊、ミクロネシア連邦チューク州 観光)のメモ

「辺境から世界を変える ソーシャルビジネスが生み出す村の起業家」を読んで支援について考えた。

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ダイヤモンド社の「辺境から世界を変える -ソーシャルビジネスが生み出す村の起業家-」(加藤徹生さん著)を読んだ。世界中のNPOなどの革新的な活動が紹介されていて、普段見聞きする国際協力の事例とは次元が違って、驚いた。こんな支援の仕方があるのか!と。

「辺境から世界を変える -ソーシャルビジネスが生み出す村の起業家-」(加藤徹生さん著)

青年海外協力隊として活動している自分としては、もう少し具体的な手法部分や実際の作業について記載があれば嬉しかったが、この本に書かれている事例、支援の仕方、考え方や経営、ビジネスの仕方などはすごく印象的だった。忘れないためにも、記事にした。

本ではいくつかの活動団体をそれぞれ紹介している。Kindle版もあるので、海外からでも購入できる。気になった方は是非読んでみてほしい。青年海外協力隊として考え方や手法のヒントになる部分もとてもある。その中で印象的だった場面や言葉をきっかけに、自分の思うことも書いた。

「貧しいがゆえの不利益」

インドのドリシュティ社のサービスは、僻地のお店の流通網を整備している。それにより、コストがかかって物価が高かったり、僻地であるがゆえに物資や少ない、選択肢が少ないことを解消している。

「貧しいがゆえの不利益」。これはよく国際協力で聞く言葉だ。チュークにいると、それを実感することが多い。水は雨水利用だが、電気は発電している。外国から石油を輸入して、それを燃やして発電している火力発電による電気料金は日本より高い。一般層の所得が日本の10分の1くらいなのに、払えるわけがない。実際、ほとんどの家庭では電気がなかったり、使われていなかったり、電気代の負担は大きい。

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物価も同じく、高い。日本とほぼ変わらないか、少し高い印象を受ける。コカコーラの缶は1.5ドル。ビールは2ドル。時給1ドル程度のチュークにおいて、この値段はとても高い。しかし、貯金や社会保険などがあまりないことを考えると、もらった給料は全て使ってしまっていいのだろう。だとすれば同じモノを同じ評価基準で考えるのもおかしいのだが。

本には「普通の価格で買えるだけで40億人が救われる」と書かれていた。大陸国であればお金を貯めればチャンスは多いだろう。教育、雇用の機会は広がる。島国ではどうだろうか。元々の教育水準がかなり低い。まともな教育や雇用を求めると、お金を溜めてグアムやハワイ、アメリカ本土へ移住しなくてはいけない。それも一つの手だが、そもそもこの島にいるとそういった気力が沸かないように思える。

「なぜ援助は末端の人々に届かないのか」

コペルニクの中村さんは国連職員として国際協力に関わり、「なぜ援助は末端の人々に届かないのか」と疑問を持ったそうだ。

diamond.jp

大してチューク人と接していない、ましてや観光という人間が生きる上で絶対に必要ではないものを活動主体としている俺でさえ、それを感じることがある。日本含む、複数ヶ国から支援として送られてきた教材や重機などがまともに使われていない。本当にどれもチューク人が必要としているのか疑問だ。どうしてだろう、と自分も感じることは多いが、国連職員でも同じ気持ちを抱いていたことを知ってなんだか安心した。と共に、国際協力ってやばいな、とも危機感を感じた。しかし、2年間という任期があり、自分は今後国際協力に関わるつもりは今のところないのでどうしても他人事に感じてしまう。しかし、自分の目の前で日本の税金が無駄になっているのを目の当たりにするとなんだか憤りを感じる。

コペルニクはボトムアップの住民主体のNPOだ。住民たちが問題定義をし、必要な支援を考える。これができるということはものすごいことだ。信じられない、とも思う。しかし、中にはできる人がきっといる。そういう人に出会えることが青年海外協力隊としても一番重要なはずだ。自分の配属先にはそういった人はいない。まともに観光振興なんて考えている人は居ないし、考えられる人もいない。ここに一人でも情熱や関心のある人がいれば状況は違っただろう、と思える。

そんなキーパーソンがいる場所へ青年海外協力隊は派遣してほしい。要請をつくるには時間がかかり、応募がはじまり、合格者が出て、訓練を終えて配属先に来ることには1~2年くらい空いてしまう。その間に人間の気持ちも配属も変わるし、難しいことはわかっているんだけれど。

モノだけの支援でもダメだし、人だけの支援でもダメ。中村さんは文中で例を出してくれている。シエラレオネでイタリアのNGOがイタリア製の高い製氷機を寄付した。しかし、電気がない地域への寄付のため、発電機も買う必要があった、と。一体、誰のための何の支援なのだろうか。きっと、その後この製氷機は使われなかったのだろう。一時的に喜ぶかもしれないが、電気が通っていない地域で発電機を使うにはガソリンが必要なはずだ。氷を売っても、ガソリンのコストが稼げるか疑問だし、そもそもそんなに質の良い氷を現地人は必要としているのだろうか?

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国際協力の情報誌などを見ると、とても素晴らしい活動のように書かれていることが多い。本当にその寄付されたものが使われているか、機能しているか疑問に思う。前例では製氷機メーカーの設けや、NGOの実績作りのための活動なのではないか、と懐疑的になってしまう。そうじゃなくて、本心でなんとかしたいと思って活動していてもうまくいかないことばかりなのかもしれない。

先進国の求める質と途上国で必要とされる質は大幅に差があるはず

あと、たまに思うのが先進国の求める質と途上国で必要とされる質は大幅に差があるはずだ。チュークは道路が舗装されておらず、車もすぐ壊れるし、交通の便がすごく悪い。穴ぼこだらけだ。しかし、これは舗装する必要があるのだろうか、とも思う。まともな道路舗装をしようとすると、物資も技術もないので、ものすごいお金がかかる。そりゃ、日本みたいな綺麗な道路にしてあげるね、と日本が支援を申し出たら喜んで欲しい、と言うだろう。自分たちだって、いきなり高級車や高級腕時計(必要ないのに)を無料であげると言われたら欲しくなるだろう。それと一緒だ。

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舗装なんかしなくても、穴さえ塞げて、平らにさえなっていればいいはずだ。何トンもの積載量の車が通るわけでもないし、スピードを出す必要があるわけでもないし、それで十分。舗装せず、定期的になにかで穴を埋めるとか、埋める時の素材(サンゴとか使えないのかな)の選定と簡単な加工だけならチューク人でもできるし、それだけで劇的にこの島の交通事情は変わると思う。先進国の質まで上げる必要はない。

支援される側の貧困層にも適正価格の負担を求める

また、コペルニクの活動フローで驚いたのが、支援される側の貧困層にも適正価格の負担を求めることだ。これはとても良いことだと思う。自分たちでお金を出す必要があるのであれば、それはもっと真剣に考えるはずだし、適正価格の制限を設けることでイタリアの製氷機のように無駄に高いものは支援されなくなるからだ。モノを買ってくれれば、技術指導をする、というのはフルパッケージになっていれば良い支援になるかもしれない。そう考えると、普通の商売と同じだ。「当社の携帯電話を契約してくれたら、カスタマーサービスがあります」と一緒。需要がないところは支払わないし、需要があるところで活動できる最初のステップなのかも。

本には興味深いデータもあった。アフリカにおける、援助額と一人あたりのGDP成長率は反比例しているというのだ。細かい計算方法などは記載されていなかったが、人口が増えたり、そういう要因もあるのだろう。だとしても支援は国を豊かにしていないということが一つの考えなのかもしれない。そもそも豊かっていうのはなんだろうか。

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アフリカで欧米産の蚊帳が大量に寄付され、それにより蚊帳職人が仕事を失った事例も書かれていた。そして数年後、欧米産の蚊帳が壊れ始めることには現地産の蚊帳が市場に少なくなっているかもしれない。少ないということは価格が高いかもしれない。必要最低限なことを必要最低限のスキルと材料でできるように考え、あとはやらせるのがいい支援なのかなぁ。

「全ての仕事をこなし、写真を撮ってじゃあね、と去っていく」

フィリピンのジェマさんによるシングルドロップは水にまつわる支援をしている。ジェマさんが過去、色々な支援団体を見ていくなかで感じたことに印象的な一文があった。「全ての仕事をこなし、写真を撮ってじゃあね、と去っていく」。この写真を撮る、というのに俺も違和感を感じることがある。

支援に来た団体が写真を撮って、それを報告したり発表したりする。そこには必ず良いことが書かれたキャプションがついている。例えば小学校でなにか公演をしている写真。子どもたちの理解度は図られることがなく、写真だけが使われる。その写真に良いことが書かれていれば読者はそう理解するし、写真なんて文章によって捉える内容は変わる。写真を撮るために活動してるのかな、と思うこともある。

「誤りを正すことのできる関係」

中国の事例では沈さんの北京富平学校について紹介されている。大きな組織になったそれは、経営危機も経験している。代表の沈さんはよく、パートナーたちに自分が間違っていないか聞くそうだ。「誤りを正すことのできる関係」と書かれているが、自分もそうなりたい。自分が一番正しい、世界の中心であり、相手が間違っている、無意識にそう思っているよりも心のどこかで間違っているのかもしれないと思っている方がなんでもうまくいくと俺は思うんだ。正義の反対は別の正義で、正解の反対は別の正解。国際協力に関わらず、なんでも物事をすすめる時に沈さんの言う「誤りを正すことのできる関係」はとても大切にしないといけないはずだ。

 

(一部文章はダイヤモンド社「辺境から世界を変える -ソーシャルビジネスが生み出す村の起業家-」(加藤徹生さん著)より引用)

 

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