Travel Kurarin

古着、ドクターマーチン、沈船ダイビング、海外旅行など雑記ブログ。Ex 観光ガイドブック出版社勤務、JICA海外協力隊 2018-1次隊 ミクロネシア連邦チューク州。月間約8万PV。訪問国は約50カ国。執筆依頼、取材、問合せはコチラ。

チュークの基本情報【通貨、時差、両替、クレジットカード、Wi-Fi、電圧、治安、交通、観光、戦跡、歴史、チューク語】

チュークの基本情報、旅行情報をまとめました。原文はPDFガイドブック(下記)に掲載されているものと同じです。

www.kurakurakurarin.com

チュークの基本情報

州旗

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チュークの州旗は南国のシンボル、椰子の木と38個の星からなる。星は独立当時の38個の自治体数を表す。

チュークの名称

チュークというのはチューク語で「山」という意味。大航海時代からチュークという名前だったが、スペイン語でチュークは“Truk”となり、それを日本語読みしたのがトラック諸島の由来。

ビジネスアワー

平日は8時~19時が目安。時間にルーズなので前後することはよくある。日曜日は休みが多いが、ホテルやレストランなどは一部やっている。

人口

ミクロネシア連邦で最も人口が多く、約5万人。

民族統計

正確な統計はないが、全体の3割程度が日系とも言われている。アメリカとのハーフもいる。

宗教

キリスト教がほぼ100%。プロテスタントカトリックは半々くらい。モルモン教徒もいる。

言語

公用語は英語とチューク語。連邦の4州の各固有言語は互いに通じないので、英語が必須。小学校から英語教育を受ける。そのため、基本的に全員英語を話すことができる。

通貨、両替、カード

通貨

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チューク含むミクロネシア連邦4州では米ドルが使用されている。小銭が足りないこともたまにあり、その場合おつりを飴でくれたり、逆に足りないのに買い物ができることがある。

両替

チュークでは日本円であろうとユーロであろうと、全く両替はできない。ミクロネシアテレコムとミクロネシア連邦銀行にATMがあり、キャッシングに対応しているが、使えないことも多い。

クレジットカード

クレジットカードが使えるのは基本的にホテルのみ。使える場合でも手数料がかかることがあるので、注意しよう。出国税30ドルもカードが使える。スーパーマーケットなどは全て現金で精算。

チューク人の収入

チュークでの仕事の時給は1.5ドル~2ドル程度。車さえ所有していれば、意外とタクシードライバーが儲かるらしい。役所関係の仕事が給料が高い。所長クラスになると年収200万円程度。

チュークの祝日

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1月1日 元日

3月31日 文化の日

5月10日 ミクロネシア連邦憲法記念日

10月1日 チューク州憲法記念日

10月24日 国連記念日

11月3日 ミクロネシア連邦独立記念日

11月11日 退役軍人の日

11月第四木曜 感謝祭

12月25日 クリスマス 

 

電圧、チップ、水、度量衡、出入国

電圧

電圧は120V。日本よりも少し高い。
プラグは日本と同じ型。

チップ

ダイビングでは基本的にボートスタッフとガイドにチップを渡す。その他にチップ文化はないので渡さなくても問題ない。チップは日本人には理解が難しいが、良いサービスをしてもらった場合は数ドル渡すと喜ばれる。

度量衡

アメリカ式のヤード、ポンド法。

上下水道が整っていないので、ほぼ全ての水は貯めた雨水を使っている。蛇口から出るのも雨水または地下水。飲み水にはミネラルウォーターを薦める。ホテルでは飲料水タンクが部屋に置いてある。

出入国

日本のパスポートであれば下記の条件を満たせばビザは不要。予防接種も不要。
・観光目的
・30日以内の滞在(最大90日まで延長可)
・パスポート残存日数が120日以上
・出国のチケットを保有している

安全と治安、病気

安全と治安

「チュークは治安が悪い」ということをよく聞くが、特別悪いわけではなく一般的な途上国と同じ。最低限の安全対策を行っていれば被害に会うことは少ない。タクシーのぼったくりなど、旅行者を騙すこともほぼない。

  • 特に夜間の外出を控える

夜間は酔っ払いや喧嘩などに遭遇する恐れがあるので、車でもなるべく外出を控える。

  • 過度な飲酒、大麻に注意

女性の過度な露出、高価な物を着用しない

  • 戸締まり、忘れ物に気をつける

ゆったりとした雰囲気で、つい気を抜いてしまうがホテルでも気をつけよう。開いていた窓から入った空き巣や、忘れ物の窃盗は多い。

病気

狂犬病:ない。あまり追ってくる犬はいないが、犬を見たら遠回りしよう。

デング熱:稀に発症することがある

黄熱病:ない

食中毒:炎天下に放置した食べ物に注意

時差、食事、物価

時差

チュークと日本の時差は日本時間+1時間。
例えば日本が12時の時はチュークは13時。
サマータイムの実施はなし。

ミクロネシア連邦の首都ポンペイは+2時間なので連邦国内で時差がある。

物価

ほぼ全ての物が輸入のため、日本と同じか少し高い。ただ、酒税がないので輸入している日本のビールでも1缶2ドル程度(レストランでの飲酒は酒税がかかる)

食事

米が主食。島民の主食は安い輸入品が多くなり、ウエノ島では伝統的な食事は減ってきた。カップ麺や缶詰などが主食になり始めている。そのため、生活習慣病患者が多い。

島国だけあって、魚が美味しい。マグロの刺し身はチュークで捕れたものなので、安心して食べれる。他にも近海で捕れた魚を楽しめる。肉は全て冷凍で輸入しているもの。伝統的なローカルフードはパンの実、タロイモ、タピオカ、ココナッツを使ったものが多い。これらの一部はスーパーで買える。

チュークの交通

チュークには公共交通機関はない。そのため、交通手段としては個人タクシー、レンタカー、ホテルの送迎の3種類となる。

個人タクシー

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チュークにはタクシー会社はなく、全て個人タクシー(州政府への営業届けが必要)。そのため、ホテルなどから呼ぶこともできない。
フロントガラスに「TAXI」と書いてあるのでわかりやすい。乗り合いなので、自分以外の人も乗ってくる。手を上げて止めて、行き先を言えばOK。運賃は約3kmまで1人1ドル。約5kmまで2ドル。それ以上は特別料金。7時~17時ごろのみ営業。夜間はタクシーはない。日曜も台数は少ないが営業している。1日チャーターは30ドル~40ドル(要交渉)

※空港からトラックストップは1ドル、ブルーラグーンまでは2ドル。荷物分別途の場合あり。

レンタカー

各ホテルにはレンタカーがある。国際免許証は不要。日本の免許証さえあれば良い(といいつつ確認もしないし、検問もない)値段は1日65ドル程度。日本車を貸してくれるように伝えよう。交通は右側通行。道が悪くて現地人もゆっくり運転しているのでそこまで怖くない。

ホテルの送迎

空港以外の行き先でも、頼めば送迎をしてくれる。片道1人10ドル程度。ただ、夜間は送迎してくれなかったり、帰りに迎えに来なかったりすることがあるので、事前に何度も確認すべき。

他の島からウエノ島に船で通勤する人がいるほど、チューク人にとって船は身近な交通手段だ。しかし、公共の定期船などはなく、各ホテルで船をチャーターする以外は、観光客が気軽に乗れる船はない。チューク環礁の外にある他の環礁に向かう政府の船はあるが、定期船ではないため、観光客が乗ることは難しい。

飛行機

チューク環礁外の島に行くためにカロリンアイランドエアが運行している。小型機で、基本チャーターのみ。

各ホテルの送迎

ほとんどの場合、空港とホテル間は送迎になる。空港から出たら、自分の行き先を告げて車を見つけよう。みんな親切なので、ここでは騙されたり違う場所に連れて行かれる心配はない。各送迎車にはホテルロゴなどがないことが多いので、わからなければ聞いてみよう。

ジープ島への送迎

まずはジープ島の所有者であるブルーラグーンリゾートに向かうので、ブルーラグーンの車で送迎になる。

ブルーラグーンリゾートへの送迎

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バスまたはワゴンでの送迎が多い。

トラックストップホテルへの送迎

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大型ワゴンでの送迎が多い。

インターネット

携帯回線

連邦の電話局である、ミクロネシアテレコムが提供。SIMカードは空港近くのオフィスでのみ販売。SIMは10ドルで、チャージ式。チャージは5ドル、10ドル、20ドルで販売。チャージすればそのまま使えるが、お得なメニューもある。

  • 5日間通話30分、ネット100MB:5ドル
  • 1日間ネット無制限:2ドル
  • 5日間ネット無制限:9ドル
  • 30日間通話60分、ネット2GB:30ドル
  • 30日間通話120分、ネット5GB:50ドル

回線は3Gで、日本に比べると遅い。島内でも電波の強さに差があり、調子の善し悪しがある。

カードのチャージ方法は下記の通り。

  1. 211に電話をかける
  2. カード裏面右上の番号+#を入力
  3. カード裏面左上のスクラッチ番号+#を入力
  4. チャージしたい電話番号+#を入力
  5. チャージしたい金額+#を入力、1を押す

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チャージ用のカード。盤面はイベント仕様のこともある。写真は2018年7月に行われたマイクロゲーム(ミクロネシアエリアのオリンピック)の記念カード。

Wi-Fi

各ホテルとその併設レストランにはWi-Fiがあるが、街中のレストランや施設にはWi-Fiはないことがほとんど。空港にもない。Wi-Fiが最も強いのはL5ホテル。ブルーラグーンやトラックストップは調子が悪いこともある。

チューク語入門

チューク語は文字通り、ここでしか使われていない。珍しい言語での会話を楽しんでみよう。連邦の4州はそれぞれが独自の言語を持っていて、州が違うと英語でしか会話が成り立たない。

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チューク語に残る日本語

チューク語には日本統治時代の名残で日本語が残り、現地語化している。下記に記したのは一例。多くの単語が残っているので、日本語を探してみるのも面白い。ザビエル高校をはじめ、一部の学校で青年海外協力隊による日本語教育が行われていたため、日本語を知っている人も多い。

品評会、消毒、絆創膏、体操、弁当、この野郎、便所、井戸、車、運転、滑走路(空港全体のこと)、見張り、玉突き(ビリヤード)、裸足、草履、電気、写真、野球、選手、、予選、最後、先生、組、責任、病院、看護婦、入院、灰皿、天ぷら(なぜかドーナツのこと)、野菜、玄関、生意気、暴れる、おしるこ(餡がない甘いもの)、手袋、チチバンド(ブラジャー)、さらまた、腰掛け など…

観光について

戦跡巡り

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春島含む、各島の戦跡巡りはガイドなしでは難しい。戦跡に関してはトラックオーシャンサービスの末永さんにお願いするのを薦める。日本統治時代にトラック諸島で生活していた方々から聞いたお話や、各戦跡に関する知識は膨大。夏島へはブルーラグーンでも英語でのツアーを頼むことができる。

島内観光

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中心街やザビエル高校訪問などは個人でもできる。タクシーで移動するか、レンタカーを借りて回る。ザビエル高校訪問は事前連絡は必要ないが、行った場合は職員の誰かに声をかけよう。

ホテルの併設ではないレストランが数軒あるので、それらを回ったり、ローカルマーケットの様子を見たり、小さい島だが意外と見どころはある。空港周辺にもいくつかお店があるので、帰国便のチェックイン後の1,2時間を使って、さっと見て回ることも可能だ。

ただし、タクシーなどの交通の便が悪いので、必ず帰りの足を確保してから観光にでよう。夕暮れ以降は危ないエリアもあるので、必ずきちんとした計画を立てること。

チュークの歴史について

戦前

チュークにはじめて人類が辿り着いたのは紀元前で、東側のハワイやポリネシア地方から流れ着いたと考えられている。原始的な生活を行っていたが、1500年代にスペインに発見されてからキリスト教の布教などがはじまる。1800年代になるとミクロネシア連邦一体には欧米の商社が進出してくる。1989年の米西戦争に敗北したスペインはチュークを含むこの辺り一帯の島々をドイツに売却した。隣のポンペイ州ではドイツと現地人の大きな衝突などもあった。

第一次世界大戦

1914年に第一次世界大戦により、日本軍がドイツ領であるチュークを無血占領した。日本政府は、天然の要塞であるチューク環礁のトノアス島(夏島)を本島とし、日本統治時代がはじまった。春島、夏島、月曜島のように日本語名の島名がつけられ、それらの名前が現代でも残っている島もある。日本政府は1915年から統治としてチューク人に対して保健、衛生の改善や教育制度の整備、病院や小学校の建設、産業の推進などを行った。当時の統治は「島民の福祉増進」を優先していた。しかし、一部では日本人との待遇の違いや差別もあったようだ。戦争のイメージが強い日本統治だが、島の武装化のきっかけは日本が国際連盟を脱退した1932年から。終戦までを考えると、武装化されずに統治されていた時期の方が長い。

第二次世界大戦終戦から現在

1941年に第二次世界大戦がはじまると、チュークは海軍基地として大きな役割を持つようになる。一説には戦時中に最大で4万5千人も日本人がいたと言われており、司令本部のある夏島には映画館や神社、銀行、商店、料亭、遊郭などの日本人街が広がっていた。開戦前からチュークの武装化は行われており、横浜刑務所から動員された囚人部隊(報国隊)や軍、チューク人労働者が基地の建設や飛行場の整備を行っていた。この時に整備された春島の空港が現在のチューク国際空港である。

1944年2月17日、18日の2日間にかけて行われたアメリカ軍のトラック大空襲{ヘイルストーン作戦)でチュークの日本軍は壊滅する。この時沈められた日本軍の徴用商船などが、今は沈船ダイビングのポイントとして世界中からダイバーを集めている。

空襲後、アメリカ軍は終戦まで上陸をしなかった。そのため残された日本人は自給自足を強いられ、多くの日本兵がこの島で餓死した。終戦後はアメリカの国連信託統治となる。1986年にミクロネシア連邦の1州として独立したが、現在はアメリカからの経済支援に頼っており、政府予算の一部がそれにより運用されている。(2023年に打ち切りの予定)

チュークに生きる日系人たち

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チュークにある森小弁の写真

チュークには「森」という苗字がとても多い。彼らは第一次世界大戦の前、1892年から定住した森小弁の子孫と親戚たち。彼がチュークに定住した初の日本人である。貿易商社の事業を行った彼はチューク人妻との間に11人の子供をもち、その子孫が現在も「森」を受け継いでいる。彼の出身地である高知県とは交流が行われている。

統治時代から続く日系の家系もある。ウエノ島中心地でシゲトストアを運営する橋口家は統治時代に橋口商店を営んでいた橋口茂さんの子孫。また、ミクロネシア連邦初代大統領のナカヤマトシオは中山家の日系2世。他にもアイザワ、ナカムラ、シライ、カツタ、タカハシ、アライ、シシド、ナカなどの苗字が残っている。中にはノブオという名前が名字になっている場合も。日系人は3割程度いるとも言われる。

 

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